2022年牡丹俳句大会盛会に~長谷川櫂先生の講演に魅了~
恒例の牡丹俳句大会が、今回は「桔槹創刊百周年記念」を冠し、5月8日午前9時30分から須賀川市民交流センター「tette」において開催された。会場には、事前申込みの百名余りの桔槹会員等が詰めかけた。コロナ禍にあったため、徹底した感染防止対策を講じての開催となった。
大会は、猪狩行々子副会長の開会の言葉に続き、江藤文子同人会長が、都合により欠席した森川光郎代表の代わりも兼ねて挨拶した。その中で、本大会講師である長谷川櫂先生が憧れの俳人であったこと、平成2年の牡丹俳句大会に先生が本市を訪れた際、緊張しながら市内を案内したエピソード等を紹介すると、会場は忽ち和やかな雰囲気に包まれた。
続いて永瀬十悟副会長が、先生の代表句を挙げるなどし、講師紹介した。
先生は、「芭蕉の白河越え」をテーマにおおよそ九十分にわたり講演。開口一番桔槹同人の森川潔氏(故人)との交流を通じて、ご自身が二十歳頃から桔槹吟社と親しい関係であったことを話されると、聴講者との距離は一気に縮まった。本題に入ると、芭蕉と奥の細道はもとより、古典文学に対する深い造詣と識見、洞察力に裏打ちされた講話は極めて魅力的であり、アカデミックな雰囲気さえ感じさせた。限られた誌面なので、その概要を以下に紹介する。
「長い戦乱の世を経て太平の世を迎えた江戸時代、日本人全体が考えたこと、それは内乱の時代に滅んだ文化の復興であり、芭蕉も例外ではなかった。いわば江戸時代はルネッサンス、古典復興を考えた人たちの時代であり、同様に芭蕉も古典主義者であったことが大前提である。奥の細道は単なる紀行文とか、旅の記録ではない。旅を素材にした文学作品、つまり創作である。奥の細道を音読すると概ね内容がわかって来る。何度も音読し、わからないところだけ解説書にあたればよい。奥の細道はフィクション、従って奥の細道を辿ることなどできない。文学にはテーマがある。奥の細道のテーマは、その冒頭の「月日は百代の過客にして」にある。時間は永遠の旅人であること。時間の中で人間はどのように生きていくべきかである。一喜一憂は人間界の業であり、不易流行やかるみは現代的なテーマでもある。方丈記の「川」は過ぎ去るものの象徴である。宇宙の高い所から人間界を見下ろす「かるみ」は恐ろしい人生観だが、最終的にそこに行き着く。微笑を湛えて人生に当たるのである。奥の細道は文学。その構成は四つに分かれるが、その二つ目が歌枕の旅である。「古池や」の延長にあるのが「みちのく」である。冠(襟)を正して白河(みちのく)に入る。凝った文章で書いてある。ヒントは「夢」。夢は外せない。詩歌(俳句)を作る人はぼーっとしていなければならない。柳の歌があって歌枕ができる。遊行柳の例がそれ。最初に西行の歌があった。歌枕は、歌が最初で現実は後から付いて来る。芭蕉の、西行と一緒に白河を越えて行くという夢は、等窮の「白河の関如何に越えつるにや」の問いに覚めるのである。遊行柳で夢見がちになり、須賀川で西行と芭蕉が離れる、夢から覚めるのである。須賀川の人は是非誇りにしてほしい。」
講演会の後に牡丹俳句大会の表彰と長谷川先生特選句の丁寧な選評をいただいた。