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綿虫や核が保てる平和なぞ 佐藤 健則
綿虫は、冬の訪れを告げる儚い生き物である。風に乗り、ふわふわと漂うその姿には、無垢さや軽やかさが感じられると同時に、ひとたび風向きが変わればどこへ飛ばされるかわからない危うさもある。この句では、その綿虫と「核」という言葉が強く対比されている。
「核が保てる平和なぞ」というフレーズには、核抑止論への根本的な疑問が込められている。「なぞ」は(なんぞの約)だが、「なぞ(=謎)」とも読める。この一語が、核を持つことで維持されるとする平和の実態が、論理的に破綻しているのではないかという批判や皮肉の響きを持たせている。昨年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したが、世界の核リスクはむしろ高まっているという現状がこの句の背景にあるだろう。このように俳句には時事問題を鋭く捉える力がある。
俳句で時事を詠むことには、いくつかの意義がある。第一に、俳句は時代の証言となる。短詩形でありながら、時代の空気や社会の動きを凝縮する。この句も、核をめぐる不安と疑問が高まる現代の感覚を鋭くとらえている。
第二に、俳句は時事を詩的に昇華できる。新聞記事や論説とは異なり、俳句は象徴や余白を駆使し、読者の感性に訴えかけることができる。「綿虫」の軽やかさと、「核」の重苦しさを並置することで、核を前提とした平和の不確かさを直感的に伝えている。俳句ならではの詩的表現によって、時事問題をより深く、幅広い層に響く形で提示できる。
第三に、時事を詠む俳句には、個人の視点から時代を映し出す力がある。この句も、「綿虫」という日常的な風景を通して、核問題という大きなテーマを個人の実感として描き出している。報道や政治の言葉ではなく、身近な自然の中に時代の不安や矛盾を見出すことで、読者の共感や省察を引き出す。
しかし、俳句で時事を詠む際には注意も必要だ。メッセージ性が強すぎると、詩の余韻が失われ、スローガンのようになってしまう危険がある。多義的な表現を心がけることで、より広い層に訴えかける俳句となる。(選評:永瀬 十悟)